3.11から15年
今年の3月11日で東日本大震災から15年となりました。
今年も弊社代表には全国の生協様より
数多くのコメント・文章依頼がございました。
有難うございました。
今回はその中の1文章を原文のまま掲載いたします。
( 常総生協 News Letter 2026年3月1回号より )
~ 東日本大震災から15年 ~
「現場・現地・現実」を一緒に考える
組合員・生産者・生協を目指しませんか?
2011年3月11日東日本大震災、あれから15年になるんですね。
原発事故は、廃炉までまだ30年以上と見通しも立たず放射性廃棄物の
処理も全く見えません。その間、政府肝いりの福島イノベーションコースト構想
(福島国際研究教育機構FーRElを中心とした研究都市)は進むでしょうが、
住民不在、生業(なりわい)再生は下降していくでしょう。
いずれにしても私には節目はありませんしあり得ません、当事者には尚更なんです。
とはいっても人によって様々で、無かったことにする人、記憶の奥にしまい込んだ人、
月や年の命日、毎日位牌遺影を前にお線香を炊く人、お金だけだと人を蹴落としても
進む人、原発で他人の賠償金や国のお金に群がる人、身を持ち崩す人、精神疾患で
立ち直れない人、貧困に喘ぐ人や高齢者、不登校の子どもやその親、引きこもり
の人、DVの当事者や被害者、震災別居や離婚でシングルマザー(ファーザー)、
子どもを抱えて働き詰めの特に母親とその子ども、育児放棄とその子ども達、
身を売りながら乳飲み子を育てついに殺してしまった若い母、介護する子どもや
される高齢者、心身とも居場所もなく孤立する人、人の孤立分断、自殺、
子殺しや親殺し、殺人、子ども達の学校教育の根本を議論しない人、障がい者を
差別する人、外国人への不寛容や蔑視、パワハラ、セクハラ、モラハラ…
書ききれない事々が起きていました
が政治も各省庁も決定的な対応もできず、震災で見えた課題は、皆さんがまさに
感じておられるように今や皆さんの足元にも全国にも拡がってます。
その前の阪神淡路大震災から31年、熊本から能登の地震も他の地域の水害も
大火災も数えきれないほどです。第二次世界大戦までも忘れられています。
海外では、お金をめぐる直接間接の暴力、戦争、紛争、自然災害も後をたたず
多くの犠牲者を生んでいます。
震災や原発事故を経験したこの15年、記憶風化が取りざたされてます。
原発再稼働とは資本の論理で選挙では堂々と推進を語る党が叫んでます。
悲しいことに目先の利益にとらわれ、異常だとは分からない政策、風化の
先頭に立つ有権者も少なからず見かけます、残念でなりません。
裏では原発へのシフト、大きな金儲けの流れに国民は声も上げず口を
閉ざしていますね。
マスコミでは簡単に書いています「避難してる人がまだいる」とかそれだけ?
深堀りもせず何があって今どんな状況なのか、多角的にその災禍の議論を
深掘りし拡げてこなかった。
自分で、仲間でしっかり議論し考えず深堀もしてなければ、目先のことで
感覚的に、大きな電力が必要だとかマスコミの報道に染められているんです。
感じるアンテナを高く、違和感と言うアンテナも高くなることを願うばかりです。
そして、また第二次世界大戦を経験していない、戦争を振り返り学びもしていない
人達が、歴史上の事実をねじ曲げ、今度は防衛の名のもとに赤字国債を発行し、
様々な国民への税金を考え物言わぬ国民に負担を追わせ軍備をすすめる。
あのやからは何を考えているのでしょうか?また官僚も政治家も国民をだまし、
国民から収奪することしか考えていないようです。
誰が儲かるか? お金と言う視点で考えるとグレーどころか
ブラックな別の世界が見えてくる❗と。
市販品も生協の商品も仕入れ原料や人件費の急激な上昇で値上げが続き、
購入点数を下げざるを得ない組合員も増え、食べ物の安全性のことも
薄れていく、仕方ないことかもしれませんが。
「信じて信じるな、信じないで信じる」と私は息子達に言っている。
だから考えなさい❗よく見て判断しなさいと。この世の中で信ずるに
足る人やことはあるのでしょうか? だから信じることや人を作りましょう。
私は震災以降、考えて悩み、怒り、時に周りを攻撃し、やるせなく、
苦しく鬱になり笑顔も減り、幸せと言う言葉が分からなくなりました。
「心の問題です」「明るい、暗い」という言葉が当たり前に使われてます。
そう言った意味では、震災後の私は暗くなったのでしょう。
私自身、暗くなったという言い方をしたくないのは、人の生き死にから始まり、
見えない事々、見たがらない事々、見たくない事々が、自分や周りにあまりにも
沢山出てきたからと振り返ればそれが理由です。
自分だけは、家族だけは、そういうことにならない❗と
誰が言い切れるのでしょうか?
いつ何どき、何が起きるか分からないとよく言われますが、その時をもう一歩
先を少しも考えていないようです。
自分にだけは起きて欲しくないと言う無意識の希望や願望がそうさせている。
だから、周りにあるダークな事々を見たくない、おそらくそうでしょう。
私自身も自分や周りのそんなダークなところから目を背けて生きていたいの
ですが、見てしまう。見えてしまう、見る知る機会に出会ってしまう。
人の苦しみが聞こえてくる。
スーパーマンもそうですね。直ぐにそこに飛んでいき解決する。
全てに飛んでいくにはこんな地球上で彼は忙しすぎますが(苦笑)。
アンパンマンも食べさせたパンの顔の再生はしきれません。
そこでひとつのお話です。
震災後に出会った、私と生年月日が全く同じ75才になったお爺さん(笑)がいます。
神戸のある障がい者施設の創設者で、こと障がい者については私の先生です。
ある時お酒の場で私が質問しました。
「彼ら彼女ら障がい者は、この世の中で必要とされているのだろうか?」と。
彼はエピソードで答えました。
長くなりますが、「ある日仲間達(彼は障がい者達を仲間達と呼びます)に
何月何日から一部の人を除き全員地下鉄で来るようにと言いました。
その日は地下鉄の改札は滞り大混乱。おはようございます!
おはよ~お↝とか、おちゅかれさまぁ!とか大声で元気よく毎朝晩。
鬼瓦のような顔をした駅員もOL・サラリーマンもその内、渋滞に渋い顔を
し始める。
しかしある時、鬼瓦のような怖い駅員が、改札の中で、首を長くして待っていた。
怒られるのかなぁと毎日内緒で見ていた施設のスタッフが心配していると、
仲間達が見えてきて挨拶をする前に、ものすごい満面の笑顔で大きな声で
おはよー\(^ ^) と声をかけた。仲間達は彼の初めての笑顔と挨拶にビクッ
として一瞬たじろいたが、次の瞬間、それに負けじと皆でものすごい声と
笑顔で挨拶をしました。
数日後、代表がスタッフや仲間達を集めて言いました。心配だったから毎日
スタッフが隠れて交代で見ていました。仲間達のその真っ直ぐな笑顔や
大きな声での挨拶に、サラリーマンもOLも、少しずつ毎朝夕に笑顔で挨拶を
互いにするようになってきました。鬼瓦駅員の家のなかも笑顔や挨拶が出て
きたかもしれないし、サラリーマン達の家にも会社にも笑顔や挨拶が沢山
生まれたかもしれないね。
つまりあなた方仲間達は、多くの人を変えたんだね!と代表が話をして、
スタッフも何より仲間達も、くちゃくちゃの顔で泣いたそうです♬」
なぜ泣いたのでしょうか?
なぜ鬼瓦駅員やサラリーマン達は挨拶や笑顔を取り戻したんでしょうね?
鬼瓦駅員が気づいて考えて自ら変わり、サラリーマン達も変わり、それで
その周りも変わっていったとすれば、人はいつでも気づいて考えることで
変われるし、周りも変わっていけると言うことかも知れません。
同じ駅で乗り降りする名前も知らない人たちや駅員が、笑顔で挨拶を交わす、
こんな素敵な空気を作れるなんて。
この社会で何の役にも立たないと思い思われていた仲間(障がい者)
も元気になる。
お金では買えないお金に換えられない! 素敵だと思いませんか?
・・・生協の役割って基本はそんなことかも知れません。
何かに追われるように日々が過ぎていく中で人同士が孤立し気持ちが荒み、
渇き、時に壊れ そんな世界に 心が「ほわっと」する時間や空間が仲間で
一緒に作れれば、生き方・暮らし方・考え方も変わっていきます。
身の回りの悩ましい事々に向き合って、気付き考えて、あなたの一歩で
いつでも変われると、私はそう思います。
とは言え、ダークな、ダークどころか悲惨すぎる事々に出会うと、その苦しみを
感じて衝撃を受け、逃げたくなり 学ぶなどと言うことができなくなります、
当然です。
15年前の震災もそうでした。生協の職員や多くの組合員は時には日帰りで
片づけに泥まみれになり汗を流してくれました。素晴らしいことに当事者の
苦しみに寄り添う方も多く長く深く入ることでこころの傷に向き合うことに
なったかと思います。
「直接間接 痛い思いをしてきたからこそ…人の痛みがわかる」。
なかなかハ-ドルは高いですが、そうありたいと考え続けてきました。
今や子どもの自殺、不登校、陰湿ないじめ、虐待、育児放棄などは身近に
あることですし、夫婦や家族って、幸せって、自分の一生って何だろうと
震災後考えさせられた人も少なくないと聞いてます。
それは私も含めて私たちがその事々を生み出す社会を作ってきたとは
言いすぎでしょうか、もしかしたら自分や家族の中にも「危うさ」として
すぐ側にあると、そう考えるからです。
今生協でも組合員でも周りの市民でもなぜこんなに追われるように「急ぐ、
忙しい」のだろうと都内の電車のホームでいつも(自省をしつつ)考えてます。
何かに追われています、何に追われているのでしょうか?仕事だから仕方が
ないのかも知れないし、サラリ-マンであればノルマも責任もあることは
否定しません。何とかしたいと思っても難しいと即答えられるでしょうし、
その組織の事情もあるし別の会社にとか無責任なことは言えません。
野菜果物加工で引きこもりの若者たちの就労の場を作り当社でも働き方改革
高橋版(笑)を一部実行していますがまだ先は見えません。
しかし、こんな社会状況(こころの情態)でいいと考えている人は少ないと
思います。
真っ向からこの現実への正解はありませんが、さあ少なくともこの生協や仲間
とともにしたいことを見つけませんか?
小さくてもいいからこんな社会に生協と地域のユートピア!を作ろう・・・
に向かって、少しの一歩、踏み出しませんか?
・・・好きな趣味サ-クルもよし、作物収穫サークル・手仕事サ-クル・
健康サークル・毛糸で手編みをする会、エネルギ-を学ぶ会とか防災や不登校を
考える講演会でもいいし、コメ農家と収支面で忌憚のないやり取りの会でもいい、
心からやりたいことを一緒にやる人がつながっていけばというような活動が
出てきています。
回を重ねることで悩みをゆだねることも出てきたと聞いてます。
時間がないからこそ、地域の人とつながり、子どもや高齢者もいろんな
関わりを持つ。
商品とは別の意味で「この生協ならではの香りや味」作りではないでしょうか?
生協は「今そこにあるのではなく、作り続けるもの、皆さんのやりたいことで
もっと活用すべきものです」
自分を含めてすぐに結論、答えを求めることが多くなったのですが、
「遠回りは近道」と考えるようにしています。支えあい、楽しみながら様々な
ことをやりたい仲間たちを生協だけでなく地域に拡げましょう。
乳飲み子も子どもも大人も高齢者も障がい者もあの神戸の「仲間達」のように
なれたら、そして気づき・考え・仲間で考え・悩ましいことも話し合い笑顔を
信頼の力で広げられたら。組合員拡大なんていったんポイっと脇に置きましょう。
現場に答えがある。食卓という現場の皆さんはもっと声を上げてください。
うまい不味いも価格が高いも容量が多い・・・現場をよく見聞きしよう。
商品のことであれば生協配達スタッフは組合員に食べてもらい、組合員の生の
声をたくさん聞きましょう、組合員に接する現場の最前線ですから。
組合員から声が出ないなら声が出るまでやりましょう。
出た意見には真摯に答えましょう、商品部のスタッフが足りないなら組合員に
有償で手伝ってもらってもいい、生産者の会も使いましょう。
規模が大きな生協ではできないきめの細かい組合員への思いやりの輪を
拡げませんか、組合員の「現場」にもっと近くいることができるはずです。
心ある組合員、心ある生産者、心ある生協
もしかしたら「想いを売る生協」になれるかもしれません。
15年前の震災時、
その心が私たちの心に灯をともしたんですから、私たちは絶対に忘れません。
私が好きな生協なんです。
提言にも全くなりませんが、後期高齢者になり立ての高橋からのエールに
なりましたら幸いです。
長文お付き合いいただいて有難うございました。
またお会いする日を楽しみに。
2026年2月7日
宮城県東松島市の会社より
株式会社 高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄


