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あいコ-プふくしまの組合員の皆様へ

  秋の気配が感じられます。総代会の折は大変お世話になりました。長いご無沙汰をお詫びいたします。

そして改めて大変な皆さんからの義援金、ご支援 こころから感謝いたします。

 

 定期的にお送りいただきます、ひまわりを読んでは「この地で暮らすしかない」皆さんの必死に闘っていらっしゃる様子が 我が事のように感じられ力付けられております。

 

総代会の挨拶では不覚にも涙を流してしまい、思っていたことも十分に話せませんでした。何度もため息をつきながら除染を続けている皆さんの努力が数値で目に見えることでほんの少しですが闇から灯りがさす、ホットスポットを見つけては自分たちの状況が分かる、生産者の色々な取り組みや土壌、発酵食品の持つ放射線ブロックの可能性も同時にわずかな希望になる、ひまわりの次は菜種を植える…違いはあれ私どもも同じように希望すら見えない絶望の淵に立たされた日々が長く続いています。

 

普通の日常が、突然姿を変えて崩落する、そして現実に圧倒され佇むしかない、そんな体験は 人の頭を空白にしてしまい、わずかな食料をただ食べて寝る、そうでしか人は自分の精神を保てない。避難所では150人殆どの人は一ヶ月も下痢が止まりませんでした。残念ながら精神的に追い詰められ自分で命を絶つ人も私の周りにおりました。未だに誰でもどこか病んでいます。

 

そんな避難所の暮らしの中、震災後何日目から私が声がけして始めたラジオ体操、井戸からの水汲みバケツリレ-、夜の焚き火、トイレ掃除当番制、ごみの分別、朝の掃除当番制、毛布のやり取り、子供たちへの声かけ、当番制の食事準備、灯油の節約やスト-ブ番、ろうそくの番、人を捜しに来た人への対応の仕方の共有化・・・そんな些細なことで落ち着きを取り戻し次第に少しずつですが、あちこちで笑顔や楽しそうな話声が聞こえるようになりました。

 

当番制は人の痛みを理解します、次に互いに知らない人が被災経験を話し出します、家族や友人が亡くなった傷は癒えませんがお互い辛い体験談を話すことで幾分なり和らぎます。家をなくして多くの人は車も流され仕事も解雇されタダのものなら何でも頂く自己防衛本能に走ります、しかし話していけば皆で分配して皆で喜ぶことの素晴らしさを知ります。風邪を引けば他の人がスト-ブの近くの寝床を譲り他の人が自分の毛布を一枚差し出し他の人がヤカンにお湯を沸かしてスト-ブには余震のためにすぐ起きる担当が付きます。野草を取ってきてはペットボトルのキャップに入れて入り口に段々増やしていく、皆の心が和みます。出来ることで誰かのために何かをする、そんな仲間が出始めました。

一ヶ月も過ぎた頃、ラジオ体操が終わるといつからか誰からか拍手をするようになり拍手の輪が出来てその後

「頑張ろうね」

という言葉が飛び交うようになりました。なぜ拍手なのか、私にも恐らく皆にも分かりません、今も。

 

総代会での私の涙は、天災と取り返しが付かない人災の差はあれ、目の前にいる(或いはここにはいないが、地区に沢山いる)組合員さんたちが今日まで本当に悩み苦しみここにいるしかないと決めた皆さんなんだろうな…そう思ったら自分のことのように涙が出てしまいました。凄絶、悲惨、痛烈…なんていう言葉では表せない体験の痛みを知っているからこそ、辛すぎて出来れば逃げたいけど涙を振り切って前を向こうと目線を上げているその姿に涙しました。妊娠してここで生もうと決めた若いお母さん、何も語れなかったけど心の中では理事が話したように、「生まれたらここの皆でお祝いしようね!」と全員がそう思っていたはずです。

 

生協って皆さんのものです、皆さんが生協です。生協で今何が出来るんだろう。

皆で支えあい、心通わせあい、話し合い、分かち合う、協力しあい、求め合い、

語り合い、涙し合い、喜び合う・・・・生産者も一緒に支えあって学びあう。

仲間として認めて信じて、あの総代会の入場のように手をつなぎあってトンネルを作り多くの思いを深め合う。

 

皆さんも私たちもできればお互いにこんな体験がなくて生きたかった、私は震災以来 背中に板が入っているように腰も少し曲がってしまいました。

記憶も出てこないくらい変わり果てたふる里の景色、壊滅的な会社の工場や自宅、風に舞うヘドロの粉塵、冠水し迫ってくる川や海、そして未だに発見される遺体や亡くなった人たち、大切な人やモノをなくした人たち、涙に明け暮れる人や荒んでしまった心たちが、背中の後ろから私を突いてくるようです。

 

多くの壁を乗り越えたと思ったらまた壁が立ちふさがりました。トンネルを抜けたと思ったらまた迷路に入りました。泣く暇もなくただ復旧を願ってきました。3.11で従業員75名に解雇通告せず、退職金を払いきれいさっぱり自己破産して106年目で会社を閉じることも選択肢でした。

個人的には生きている証も一切なくなり生きていく意味も分からなくなりました。ようやく涙がでるようになりました。

でも皆さんは、私にとって同じ夢を見ている仲間です。独りではない仲間です。人を愛し思いやりを忘れず痛みも悲しみも喜びも共に分かち合える仲間です。皆さんの生きる姿が、私どもにも大きな力になるんです。

 

経験したこともない大きな地震、そして710mもの大津波は全てを奪い去りました。しかしそれで沢山のことを見つけました、大切なこと、忘れてはならないこと。そんな悲惨な現実でも奪えないのは 心と生きる意志と何より仲間ですよね。

 

皆さんのおかげです。10月より生産が開始出来るようになりました。たった1製造ラインですが11月の何週目かには皆さんに一番スリの揚げかまぼこをお送りできる予定です。

 

温かい、熱い言葉で、思いを込めて 

「がんばっぺぇ!おだずなよ~!負げねぇど!まだな~笑顔で会うべな~」

 

 

2011.9.06

宮城県石巻市 ㈱高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄

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