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当時を振り返って・・・

先日、3.11でのブログをUPしましたところ、

たくさんのコメントなどを頂戴しました。

その中で、生活クラブやまがた元理事長の井上様

より震災当時を彷彿とさせるメッセージを頂き、

感銘を受けた代表からの返信コメントのやり取りを、

載せさせて頂きます。

注:黒文字・・・井上様

  青文字・・・代表 高橋

 

 

 社長の行方を追って、現地やGooglで探しに行った9年前。

神社でリーダシップを発揮していると連絡がくると、米沢の

生活クラブやまがたや結いのき(高齢者施設)では万歳が起こりました。

 

 

 その後、社長に会いに行くと、「井上さんまでが私を

殺しに来たんですか!?」と怒りの言葉が。

全国各地からボランティアが押し寄せて、工場の内外の

泥よけが始まった。しかし、工場には関係者は社長がひとりだけ。

休みなく指示しなければならない社長は心身ともに疲れ果てていた所に、

私が訪れたのであのセリフとなりました。

なんでも許せる間柄だからの言葉と受け止めました。

・・・・そうなんだぁ!鬼の形相、自分では分からない自分の姿、

そして暴言 今しか考えられず自分しか考えられず二度ほど自死を

考えた私に今こそわかる人の思いやりの数々でした。

 

 

 鬼の形相の社長はその後も度々訪れても、変わりませんでした。

4月下旬には山形県副知事をおつれし、島原からはみそ半の松永社長も。

その時も3時間以上休みなく震災の日から今日までご自身と石巻の実態

を激しく述べる社長でした。

しかし、その社長の言葉で副知事は山形県に対策会議を作り具体的な

復旧支援を始めました。松永社長は長崎県水産部に支援を依頼します。

高橋英雄社長はそういう方です。いつも世の中の困難を浮き彫りにして、

社会を動かします。私は心から尊敬し、固い絆を勝手に結びました。

男の恋人になってしまいました。

 

・・・・当時の山形県副知事は、県知事と支援の話を詰め石巻市の

冷凍倉庫で腐り始めた水産界加工品(パックした)推定1万1千トンを

運び山形米沢市含めた山中に埋め立て処分をして頂くこととなった。

 長崎県島原のみそ半という会社を経営する松永社長を同行しお出でに

なった井上さん、黙って私の話を聞いて放射能の汚染海域になっただろう

宮城県の魚が使えない状況下。話を聞いた松永社長の紹介で長崎県知事を介し

水産部長始め水産部と長崎三漁港を回り、2011年から12年初頭にかけて

練りものに使える魚を冷凍し当社まで原料として何年もの間送って頂くきっかけとなる。

余談だが石巻市の惨状を見ながら北に移動中、1991年、島原普賢岳災害の当事者の

島原松永社長は当地の被災状況を見てフラッシュバックし体調を崩したそうです。

 

 

 石巻地域で電気が止まった冷凍倉庫に残された冷凍魚介類は、推定3万8千トン

各社の解雇された従業員が人手で取り出し砂利運搬船で沖に沈める。

数か月後もっと腐敗した加工品の搬出では井上さんの現状把握と対策で

ご尽力がなければ、ウジがわき鼻を衝く悪臭もパックの中のとろとろに

腐った加工品にまで手が付けられない現状を乗り越えられなかった。

また当社の再稼働の原料まで先を見越した考えと支援がなければ今ここで

9年を迎えることはできなかった。

「何ができるか?」と考えながら日常の忙しさに戻ってしまう支援者に

恨み言を思った自分だったが とんでもなかったですね。

沢山の皆さんの恩を受けて今があることを今年の9回忌で改めて胸に刻みました。

井上さんに頭が下がります。こころより感謝します、有難うございました。 

 

㈱高橋徳治商店 代表取締役 高橋英雄

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